whkr’s diary

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なぜ成瀬順の父親のチンポは腐り落ちなかったのか。(『心が叫びたがってるんだ。』ネタバレ感想)

先日、劇場アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』(通称『ここさけ』)を観てきました。以下の文章にはネタバレがあります。

非常に大まかなあらすじは、しゃべれなくなる「呪い」をかけられた主人公が、いかにしてそこから解放されるか、という話です。

さて、その「呪い」をかけたのは他ならぬ彼女の父親と母親なんだけど、その両者は彼女の内面では「玉子の王子」という空想の存在へと置き換えられている。
まあそういうことにしたくなる気持ちもわかる。特に父親。自分の不倫がばれて家から追い出される自業自得を、現場を目撃した娘のせいにして別れ際になじるなんて、人の親としてどころか社会的生物として不適格な存在である*1
そして、自分の父親がそんな人の皮をかぶった発情期の野良犬だったなんて認めるのは、幼かった主人公にはシビアすぎたのだろう。だから一家離散の原因は親でなく自分であるとして、それを罰する存在を創造せざるを得なかった。

そして、肝心の「呪い」を解くプロセスに、張本人である両親は一切関与しない。母親は勝手にイライラして勝手に感極まって泣き出し、父親は冒頭10分以降は一度も出てこない。
よくあるハッピーエンドの物語では、加害者に天罰が下って彼らは心を入れ替え、被害者である主人公と和解するものだ。私も観終わってすぐは、元凶である父親のチンポが性病で腐り落ちていないことがひどく納得できなかった。

だが、実際には無理なのだ。野良犬と和解することは。こういう手合いはチンポが腐り落ちたことさえ主人公のせいにして新たな「呪い」をかけてくるに決まってる。彼らは一種の自然災害なのだ。地震津波、噴火といった、人間が正面から立ち向かってはいけない類の。そして、勧善懲悪や因果応報だけが物語のすべてではない。人智を超えた理不尽な災害から立ち上がることも一つの物語たりえるのだ。

この作品と同じ岡田磨里脚本のアニメ『とらドラ!』もシリーズの半分くらい観たのだが、両者のテーマに通底するものを感じた。それをまとめてこの文章の締めとしたい。

「あなたに『呪い』をかけてきた相手に、なにかしらの解決を期待するのは一切やめましょう。彼ら以外にあなたの周りにいる大切な人が、『呪い』を解く鍵を持っているかもしれません」




なお、この記事は先週から書こう書こうと思ってたのですが、はてブ人気エントリーに上がっていたフエタロさんの『ここさけ』記事に背中を押される感じになりました。勇気をありがとうございます。

*1:このシーンのあまりの理不尽さに、劇場に戸惑いの空気が流れたように感じたのは私だけだろうか